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公益財団法人 加藤奨学財団のご紹介
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この奨学財団は、神崎製紙の創設者であった加藤藤太郎翁(1887〜1987)によって昭和43年に創設された。加藤藤太郎翁は香川県(三豊市豊中町)に生まれ、三豊中学(現観音寺第一高校)、東京高商(現一橋大学)に学び、王子製紙に勤め副社長となった。戦後の財閥解体に伴い、王子製紙を退社、その後昭和23年に神崎製紙を創業し、社長、会長として活躍した。自分を育て支えてくれた人々への感謝の思いから、資質優秀にして経済的理由により修学困難な学生生徒に対し資金援助を行うこととし、自身の退職金全てを投げ出してこの財団を創設した。郷里への思いは強く、その徳を讃えて岡本帰来の生家近くには、元総理大臣大平正芳氏撰の碑文が添えられた銅像も建てられている。 |
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神崎製紙は平成5年に合併して現在は王子製紙となっているが、創設者の無私の精神と感謝の心、そして前途有為な若者への期待は、今も加藤奨学財団として生かされている。財団の初代理事長は元総理大臣大平正芳氏、現在の理事長は、翁の孫で加藤隆久都市建築事務所代表取締役、明星大学名誉教授の加藤隆久氏が5代目の理事長として、奨学生への支援に当たっている。
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令和5年度は、令和6年3月までの1年間に、令和5年度採用の奨学生11名を加え、合計41名を対象に奨学金給付の援助を行った。創設以来55年間の奨学生は延べ917名に達している。奨学生は社会に巣立って、各地各方面で活躍中である。
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【創設者 加藤藤太郎翁 略歴】 |
明治20年10月28日 |
香川県三豊郡桑山村(現三豊市豊中町)帰来に生まれる |
明治39年3月 |
県立三豊中学校(現観音寺第一高校)卒業 |
明治43年7月 |
東京高等商業学校(現一橋大学)卒業
王子製紙入社 |
昭和13年 |
同社取締役就任 |
昭和21年2月 |
同社代表取締役副社長就任 |
昭和21年12月 |
同社退社 |
昭和23年9月 |
尼崎市に神崎製紙株式会社創設、同社社長 |
昭和34年 |
徳島県阿南市に同社富岡工場を建設 |
昭和39年11月 |
同社会長就任 |
昭和42年11月 |
同社相談役就任 |
昭和43年4月 |
退職慰労金により加藤奨学財団を設立 |
昭和62年10月8日 |
社会保険庁中央病院にて逝去、99歳11ヶ月 |
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【歴代理事長】 |
初代 大平正芳 |
元内閣総理大臣 |
二代 遠藤福男 |
元神崎製紙社長 |
三代 加藤威二 |
元厚生省事務次官(創設者の次男) |
四代 矢野恒夫 |
元電気化学工業(現デンカ株式会社)社長(創設者の甥) |
五代 加藤隆久 |
加藤隆久都市建築事務所代表取締役、明星大学名誉教授(創設者の孫) |
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